ワイはうつ病でひきこもりーぬ。
他人との接触にとても拒否感があるため、ほぼ外には出ない。
難病のせいでいつも体調が悪いから、というのもあるけど。
【対人恐怖症】という言葉があるけど、はたしてワイは人が怖いのだろうか?
そんな自覚はないのだけど、きっと心の底では〈怖い〉と思っているから拒否感があるのだろう。
今は昔より少し良くなってきた気はするけど、とくにご近所さんとの接触が非常にイヤである。
理由はわからないけど、おそらく、出くわしたら必ず挨拶をしなければならず、自分の意に反してコミュニケーションが発生してしまうからかもしれない。
玄関を開けたらお隣さんが目の前にいたとか、帰宅しようとしたらワイの通り道にご近所さんがいるなど、そんな状況に出くわしてしまうと一瞬パニックになってしまう。
(突然のことで避けられる状態ではない時は、ワイは平然とした顔を装い、会釈をして通過する。)
とくに朝のゴミ捨ては危険である。
ゴミ出しの時間には制限があるため、ゴミ出しでの往復の間にご近所さんと出くわす危険度が高いのだ。
ワイがゴミ出しをするときはいつも、人影や物音に五感を集中させて、途中で人の気配を感じたら壁際に隠れて様子をうかがい、行く先に人がいないかどうか確認をし、誰もいないことを確認してからゴミを出している。
ゴミ出しの帰りも同様である。
自分の部屋に戻るまでに同じような警戒行動をとる。
精神的にけっこう疲れる作業なのだ。
また、自分の部屋の近くをご近所さんが頻繁に歩いていたりすると(自宅はマンションのため玄関の外は共用通路になっている)、ワイは外に出られない。
お腹がすいたから近所のスーパーに買いに行きたいなと思っても、ドアの外に人の気配があるときはご飯を食べないほうを選ぶ。
ところで、昨日こんなニュースの記事があった。
朝日新聞デジタルより。
ひきこもりの息子について悩んでいた母親についてである。
6年前に夫が他界して、長男と2人暮らしになった女性は、インターネットで見つけた民間の自立支援業者に相談。
担当者に「ひきこもりが長期化、高齢化するほど解決が難しくなる」と迫られ、契約を結んだという。
その年の冬。自宅にきた業者の男らに説得されて、階段を下りてきた息子を玄関先で見送った。
この契約のために女性は自宅を売り、業者に支払った費用は最終的に1300万円にのぼった。
そして、業者の「自立支援施設」に入所してから約2年後、長男は研修先として赴いていた熊本県内のアパートで、ひとり亡くなっているのが見つかった。
これは、親のひきこもりに対する無知が原因の一つにあるんじゃないのかな~と思う。
(もちろん、いちばん悪いのは業者である。)
なぜひきこもっているのかを、まず知らなければならない。
ワイがひきこもっている(人と接触したくない)理由は、外(=社会)に出ると自分が脅かされるからである。
つまり、普段の生活において人から脅かされる危機的状況を幾度となく経験してきており、トラウマとなっているのだ。
ワイがうつ病と診断される前までは、自分がそんな経験を重ねてきていた自覚はなかったけど、落ち着いて思い返してみると、いろいろあったな~と気づいた。
長くなるから具体的なことは書かないけど、他者から搾取され続けてきた気がするのだ。
自分以外の人間はすべて自分を脅かす敵だ!
困っても自分のことは誰も助けてはくれない。
自分で解決するか、解決できなければ甘んじてその結果を受け入れるしかないのだ!
他人はワイのことなんてどうも思っていない。
気にかけてくれるなんてこと、あるわけがない。
だって、ワイがちのうがどうなろうが、どうも思わない人たちなのだから。
最終的にはこうゆう考えに陥っていた。
今も少々ある。
他人は自分の敵。
だから、他人がたくさんいる外に出ることはDEAD or ALIVE な戦場に出ていくことと同じことなのだ。
こういうと言い過ぎに聞こえるかもしれないけど、外に出たら命を脅かされる危険があるのだ。
それくらい恐ろしいことなのだ。
つまり、ひきこもる理由は、
【自分の命を守るため】であり、【自分への脅威を避けるため】なのである。
これはあくまでもワイの経験による考察である。
実際はさまざまな事情の人がいて、理由はこれだけではないと思う。
そんな、外(=社会)に出たらちんでしまうかもしれないという状況の人を、他者が強制的に外(=社会)に出すなんてことは間違っている。
これは、以上のことを考慮すれば理解に難くないと思う。
だから、もしひきこもりを外(=社会)に出したいのであれば、強制的に外(=社会)に出すのではなく、別のアプローチが必要だと思う。
てゆうか、なぜ引きこもっていてはダメなのだろうか?
その他大勢とは違うから?
まあたぶん、おおむねそんな理由だろうと思う。
ほかのみんなは普通に外に出て働いている。
だから、あなたもみんなと同じように生きなければならない。
なんなんだろうね。
人っていろんな人がいるじゃん?
近頃は【多様性】とか【ダイバーシティ】とか推し進めてるじゃん。
体裁だけかもしれないけど。
つまり、人はみんな同じじゃなくて、いろんな人がいるんだよということを社会レベルで理解して受け入れようぜ!ということでしょ?
なら、ひきこもりがいたっていいじゃん。
〈いろんな人〉のうちの一人だよ。
社会での集団生活が無理な人もいるんだよ。
出家修行者はどうなの?
こないだ、12年間もひきこもって修行してた人がいたけど。
あの人については誰も文句を言わないじゃん。
社会から離れて1か所の部屋に閉じこもっていたという意味では、引きこもりと同じなのにさ。
誹謗されるどころか、むしろ賞賛されてたよね。
そもそも本来の出家者というのは、社会から積極的に離れた人のことだ。
社会から離れて、ひたすら修行という名の自分のやりたいことをやっている。
ひきこもりと似たようなものなのだ。
現代の仏教ではどう解釈されるのかわからないけど。
(現代仏教はほぼビジネスだよね)
出家者とひきこもりとの違いは【肩書き】だ。
人って肩書きに弱いよねぇ~。
同じひきこもりでも、〈僧侶〉という肩書きがあるだけで社会から受け入れてもらえるのだ。
ひきこもりも、何か肩書きがあれば受け入れてもらえるのかなぁ?
おちまい
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