先日、自宅に母がやってきた時に、猫の飼い方について論議をした。
論議というより、私が一方的に意見を述べて母が頷くという感じ。
胸を張って言えることではないけれど、私は世間一般でいうところの正しい猫の飼い方を完璧にやっているわけではない。
ところで、世間一般でいう正しい猫の飼い方とは何だろうか?
私が思いつくのは次のとおりだ。
- 完全室内飼い
- 避妊、去勢手術
- 猫が十分運動できる広い家
- キャットタワーなどを設置
- 猫のそばに危険なものは置かない
- フードは決まった時間に決まった量
- 適正な体重管理
- 新鮮な水を常設
- 毎日遊んであげる
- 落ち着ける寝床を設置する
- トイレは常に清潔に
- 定期的に爪切り
- 定期的な健康診断
- 毎年のワクチン接種
- 家の中は清潔に
- 定期的にブラッシングや耳掃除
- ときどきお尻絞り
- 高品質なフード
- 病気になったらすぐ病院へ
- 毎日ハミガキ
- ストレスを与えない
これだけではないと思うけど、ザッと挙げるとこんな感じかな。
ちなみに保護猫の里親募集の条件を見ると、このほかにも〈小さい子どもがいない〉とか〈一人暮らしではない〉〈猫に留守番をさせる時間が短い〉〈飼い主が高齢ではない〉なども要求される。
しかし、これらはすべて、人間が猫にとって良かれと思って考えたものだったり、人間のエゴだったりする。
つまり、猫の意思はいっさい反映されていない。
では【幸せとは?】という問題が出てくる。
これの定義は人によって意見はいろいろだと思うけど、どんな生き物にも共通していえるのは、自分のやりたいように生きることだと私は思うのだ。
他者から否定されたり縛られるという生き方は、すべての生き物にとって幸せではないと思うのだ。
だから、猫にとっても自分のやりたいように生きることが幸せだと思うのだ。
では、野生なら広い外で生活しているはずなのに、それに比べて狭い屋内で飼うことは猫にとって不幸なのでは?と母。
これについては、いつかに読んだ記事を思い出した。
完全に野生である猫(いわゆるイエネコではないヤマネコのような猫種)が、人間の家に入ると食べ物がもらえることを知ったところ、ある時からその家の中で生活するようになり、次第に外に行かなくなったという。
人間が猫に対して、家の中で生活するように働きかけたわけではないという。
猫自身の意思によって、そこで生活することを選んだのだ。
外での生活は猫にとってストレスフルなものらしい。
食料は安定してゲットできるわけではないし、敵に襲われないように常に警戒しないといけないし、縄張り争いはあるし、雨風などの天候の変化に対応するのも大変だろうと思う。
限りなく広い外で好きなだけ走り回れる自由気ままな生活を私たちは想像してしまうけど、野生の生活は、実は気が抜けない常に緊張感のある生活なのだ。
それに比べて、人間の家での生活は安全安心だと猫が判断したのだろうという内容だった。
敵に襲われることはないから安心して眠れるし、何もしなくても食べ物がもらえるし、よその猫が入ってきて縄張り争いになることもない。
雨風もしのぐことができる。
とてもストレスが少ない環境なのだ。
ということは、完全室内飼いは猫にとって不幸なものではないということなのだと思う。
では、猫を病院に連れて行くことはどうなのだろうか?
猫の健康維持のため、または長生きしてもらうために私たち人間は動物病院に猫を連れて行く。
年に1度のワクチン接種や健康診断など。
その頻度は家によってさまざまだろうけど、とくに猫に異変があった場合は病院で診てもらうと思う。
愛猫にはずっと元気でそばにいてほしいからだ。
しかし、これは人間のエゴだと思う。
自宅の猫が大切だからこそ病院に連れて行くのだけど、では猫に「病院に行きたいかい?」と尋ねたとしたら、「絶対にヤダ!」と言うと思うのだ。
私はこれまで複数の猫を飼ってきたけど、病院に連れて行くときのキャリーを見せると猫たちはすべて確実に逃げていった。
キャリーは自分たちを病院に連れていくための道具だと、猫たちはちゃんと理解している。
猫をキャリーに入れようとすると、入るまいとして必死で暴れまくる。
これは「病院には行きたくない!」という猫の意思表示だ。
まあ普通に考えて、動物病院での検査・治療というのは猫にとっては不自然な行為だ。
自然の中の猫は、病気になったらそれを受け入れて生活し、最後に体が衰えて動かなくなったら自然に息絶えるのが普通なのだ。
なにより、猫を病院に連れて行くという行為について猫の意思はいっさい反映されていない。
猫にとっての幸せが自分のやりたいように生きることだとするならば、猫の意思に反して病院に連れて行くことは、はたして猫にとって幸せなのだろうか?
私は、猫を病院に連れて行くことを否定しているわけではない。
私だって、猫の具合が悪くなれば病院に連れて行く。
ただ、人間がどこまで介入するのが猫にとって適当なのかを考えることがあるのだ。
自宅の猫がストルバイト結石が詰まってオシッコが出なくなってしまったことがある。
すぐ病院に連れて行ってオシッコを出してもらって帰宅したら、キャリーから出てきた猫が、まるで「ありがとう!」と言っているかのごとくニャーニャーといって甘えてきたという経験がある。
出なくて困っていたオシッコを出してもらったということを、この時は理解していたのだと思う。
こうゆうことがあったから、猫の病院受診を私は完全に否定しているわけではないのだ。
猫は喋らないから答えが出る問いではないけれど、猫が心穏やかに暮らせるようにしてあげたいなぁと私は常に思っている。
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猫の幸せとは何なのかについては、人それぞれ異なる意見があると思う。
また、考え方が異なる以上、猫の飼い方は家によっていろいろだ。
他人の子育てには口を出さないように、他人の猫の育て方に私が口出しをするつもりは毛頭ない。
が、強いていえば、猫に限らず外にいる動物に対して悪行をする輩が存在する。
そんな輩から動物たちを守るためにも、室内で飼ってほしいなとは思っている。
サザエさんちのタマも、室内飼いにしてほしいなと思っている。
おちまい
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