というのは、こんな経験を重ねてきたからである。
このように、病気の悪化により自分の意思に反して体重が減って痩せてしまったことをうらやましがられるとか。
シンプルに痩せたことをうらやましがっているのだろうなということは分かる。
相手はこちらの苦労した事情を知らないから仕方ないのだけど、なんだかモヤる。
Twitterでもこういったことをときどき目にすることがある。
たとえば、車椅子ユーザーに対して「いつも座っていられてラクでいいなぁ~」という発言。
その人は車椅子を使ったことがないのだろう。
車椅子って実はすごくおケツが痛いのだ。長時間座るのに向いている乗り物ではない。
それに、ずっと座っていると腰が痛くなることは健康な人も知っているはずなんだけどなぁ。
それから〈健康で文化的な最低限度の生活〉をしている人に対する「いいなぁ~」という妬み。
働かなくてもコンスタントに収入が得られる生活をうらやましがる発言。
当事者の実情を知らない無知からくる発言である。
たしかに定期的に決まった収入が入ってくることで、ありがたいことに生活ができている。
しかしそのために犠牲にしていることもあるのだが、まあここではその苦労を書くつもりはないよ。
書いたところで、やっぱり当事者にしか分からないことだからね。
それと、これは以前なにかの本に書かれていたこと。
とあるイスラム圏の国に行った人の旅行記のような本だった気がする。
あちらでは他人に奉仕したり寄付したりすることが宗教的にも文化的にも日常になっているらしく、街のあちこちに寄付ができる場所が設置されているらしい。
そんな文化であるその国では、たとえば友人に「そのバッグ素敵だね!」と言うと、「じゃあコレあなたにあげる!」となり、「いや…そんなつもりで言ったわけじゃないんだけど」ということになるらしいのだ。
〈相手の持ち物を褒める=「いいなぁ~」とうらやましがる=それを欲しがっている〉
ととらえられるのだろう。
そして、文化的な理由なのか宗教的な理由なのかワイにはわかりかねるが、相手にそのような気持ちを抱かせてしまうことは悪いことなのだそうだ。
「うらやましい」という気持ちの裏には「欲しいけど手に入れることができない」という苦しい気持ちがある。
そこから「そんな苦しみを相手に与えてしまうことは悪い行為だ」という価値観につながるのかもしれない。
だから「じゃあコレあなたにあげる!」となる。
そんなことを考えていたワイは、「いいなぁ~」とうらやましがる言葉に利益はないんじゃないかなと思った。
逆に「自分は悪い行為をしてしまった」という思いを抱かせて相手を苦しめてしまっていることもあるかもしれない。
そしてワイは「いいなぁ~」と言うのをやめよう!と決めた。
その代わりに、
と言うようにした。
もしくは「よかったね!」とか。
「いいなぁ~」と「いいね」。
語尾がちょっと違うだけだけど、そこに含まれる感情はだいぶ違うよね☆
おちまい
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