不信感についての考察

医者のことが信用できん。

心から信用することができない。

医者から私への配慮ある優しい言葉は、建前とか社交辞令だと思ってしまう。

実際のところはどうなんだろうね?


これは医者に限らない。

私は他者からの優しい言葉に対して常に懐疑的になってしまうのだ。


例えば、自分が褒められたら素直に受け取ろう!とは思うのだけど、なかなか容易ではない。

ありがとう!と言っている自分の脳内のすみっこで「社交辞令かもしれない」と思っている自分がいる。


なんでだろう?と考えて原因として思いつくことは幼少期の環境である。


うちは両親が若くて共働きだった。

小学校1年生のときから鍵っ子で、学校から帰っても家には誰もいないのが当たり前だった。

でも当時それを寂しいと思っていた記憶はない。

母が帰宅するまでの時間は自分だけの自由時間でもあり、ファミコンはやりたい放題で自分なりに楽しく過ごしていたように思う。

しかしその一方で、母の勤め先まで走って遊びに行ってしまうこともよくあった。

ゆえに、母がいなくて寂しいという思いもあったのかもしれない。


母は夕方に帰宅するとすぐに夕飯の支度を始める。

夕飯ができたらみんなで食べ、食後はくつろぎの時間になるのだが、母は床に寝転がって秒で眠ってしまう。

仕事で疲れていたのだろう。

私はその日学校であったことなどをたくさん聞いてほしかったのだけど、聞いてもらえないことがしばしばだった。

母はお風呂が沸くまで眠り、沸いたらお風呂に入り、お風呂から出たらソッコーで布団に入り眠ってしまう。

お風呂に入るのは私のほうが後で、眠る母から「うるさい!」と言われることもしょっちゅうであった。

まぁ当然なんだがね。

お風呂が怖かった私はその恐怖に耐えるために、いつも歌をうたいながら入っていたからだ。


そんな感じで、私の話を聞いてもらえる時間がない日々であった。

母は仕事と家事で毎日忙しかったのだろうと思う。

だから私にかまう余裕がなかったのだと思う。

宿題をやっていてわからないことがあって母に聞くと「知らない」「自分で調べなさい」と言われ、教えてもらえることはほぼなかった。

漢字の読みは教えてくれたかな。

まぁこれは漢字を見せればすぐに答えられる質問だからね。


学校での困りごとや悩みについて母に相談したときは、母は「知らない!」「わからない」としか答えなかった。

私は、母が面倒がって考えることすらしていないことに気づいていた。

答えが出なくとも、一緒に考えるということをしてほしかった。


台風の日は親が車で送迎してくれる子がいた。

暴風雨のなか重たいランドセルを背負って歩いて通学するのはとてもしんどい。

だから私も迎えに来てほしかったのだけど、それは我が家では絶対にありえないことだった。

母は仕事優先だからである。


学校で腕を脱臼してしまったことがあった。

学期末だったため大荷物を持って帰宅しなければならなかったのだけど、激痛で難しい。

でも母は迎えには来てくれなかった。

帰宅したら母から無理やり肘を曲げられた。

私は思いがけないその激痛にギャアアアーーーッ!と声をあげてしまった。

なぜあんなことをしたのかあとで母に聞いたところ、本当に痛いのか確認したとのこと。

私は信用されていないんだなと思った。


小さい頃はよく祖母の家まで電車で遊びに行っていた。

が、私は当時から人混みが苦手で、電車内で具合が悪くなるのが常だった。

具合が悪いと母に言うと、心配されるのではなく「はあ!?」と顔をしかめられた。

駅ビルで食事をしようとなったとき「おなかすいてる?」といつも聞かれていたのだが、具合が悪い私が「すいてない」と答えると「なんですいてないの!?」となぜか怒られた。

正直に答えただけなのになぜ怒られるのかよくわからなかった。


大人になった今なら「忙しくて余裕がなくて大変だったんだろうなぁ」とか「母も若かったからいろいろ未熟だったんだろうなぁ」と分かる。

が、子どもだった当時の私はそのうち、

「母は私に興味がないのだろう」

「母は私のことを心配なんてしない」

「母は私を助けてくれるひとではない」

というふうに考えるようになった。


大人になった私は2度の結婚をした。

1度目は現代では考えられないような男尊女卑の環境で、夫からのモラハラもあり自分の存在意義を見失った。

2度目の夫はASDやADHDなどそのほかいろいろと問題がありカサンドラ症候群に陥った。

そして私は


「母は私に興味がないのだろう」

「母は私のことを心配なんてしない」

「母は私を助けてくれるひとではない」


という考えが、


「全てのひとは私に興味がないのだろう」

「全てのひとは私のことを心配なんてしない」

「全てのひとは私を助けてくれない」


となるに至った。

だから、困ったことがあってもトラブルがあっても自分一人で解決しなくちゃいけないし、もしそれができなかったらその不都合な結果を甘んじて受け入れるしかないと思っていた。

そして、私がそうなっても誰からも心配されないし、そもそも関心もないだろうと思っていた。


自分がSLEであるとわかり入院しないといけないとなったとき、母は心配してくれた。

それは私にとって想定外の出来事だった。

私の話を聞いて「あらそうなんだ」で終わりだと思っていたのに、私の顔を見にくるなんて予想外だった。

入院日に付き添ってくれたことも想定外だった。

「へぇー!心配してくれるんだ!」と驚いた。



そんな幼少期の親子関係や2度の結婚での経験から、他者への不信感が植え付けられてしまったのかなと思う。


現代の子たちは学校への送迎はよくあることだし、学校から帰ったら家に親がいるのも当たり前のようだ(そうでない家も当然あるが)。

子持ちの友人の話を聞くとずいぶん過保護だなぁ〜と思ったりしていたのだけど、うちが一般的じゃなかったのだとあとで知った。


そんなわだかまりを、最近は母に正直に話して成仏させるようにしている。

母いわく、当時は若かったゆえにお給料が少なく家計が大変で、生活費を稼ぐことで頭がいっぱいだったとのこと。

私の当時の思いを聞いて「私は悪い親だったのかなぁ」と言っていたけど、もう過ぎたことである。

ちなみに母と私は仲良しである。



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