【ミリンダ王の問い】時間とは

 

『ミリンダ王の問い』にて。

王がナーガセーナ尊者に時間について問うた。


そこで私はふと思い出した。

大学の原始仏教の講義で、「時間とは何だと思いますか?」という問いかけがあった。


事物の変化が時間なんじゃないかなぁ?

いっさい変化がなかったら「時が止まってる」と認識するよなぁ…たぶん。


そんなふうに思った記憶がある。

けっきょく答えはわからないまま講義は終わった。

問いかけはするものの答えは言わない先生だった。


当時は『ミリンダ王の問い』の存在すら知らなかった。

知っていて読んでいたら答えられたのかもしれない。



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さて、ナーガセーナ尊者は王の質問に対し、アビダルマの知識によって答えた。


尊者は時間を【十二因縁(十二縁起)】で説いた。


(ところで、「じゅうにえんぎ」を変換したら「十二円着」と出た。12円の服ということか、それとも十円パンのごとく十二円柄の服なのか…。まあどうでもいい。)


なるほど。

十二因縁、すなわち有為法である。

作られたすべてのものは生滅を繰りかえし、いずれ滅びる。

有為法には時間が存在する。


いっぽう、絶対の真理には時間が存在しない。

作られたものではない無為法であるからだ。


仏教では輪廻が根本思想として存在する。

無明から始まる十二因縁の永遠の連続。


その永遠の時間の始まりはどこなのか?

その質問に対して尊者は、円を描いてみせた。


「この円の始まりはどこかわかりますか?」と。

王は「わからん」と答えた。


まあ、地面に手で描いたのなら真円を描くのは無理だろうし、微妙な力加減の差で円の繋ぎ目が「ココ!」とわかりそうなもんだし、何より目の前で描いてみせてるからどこからグルッと描き始めたのかわかるだろうと思ってしまうが、そこはスルーすべきなのであろう。


仮にキレイな真円を見せられた場合は(こんなん→ ◯ )、どこが始まりなのかはわからない。


始まりはきっとあるのだろう。

宇宙だって始まりはあるはずだ。

でもいつどこから始まったのかはわからない。


ゆえに尊者は、始まりはあるともないとも言わず、「始まりは認識できない」と答えた。


ふむ、おもしろい。





 

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